【ゾクリ】ディズニーも日本昔話も!? 「本当は怖い話」が生まれた驚愕の理由とは?

本当は怖い 考察
本当は怖い

「昔話って、心温まる物語ばかりだよね」
そう思っていませんか?
もしそうなら、あなたはこれから驚愕の真実に直面するかもしれません。

実は、私たちが幼い頃から親しんできたディズニー作品の原点や、日本に古くから伝わる昔話の多くには、現代では考えられないほど「怖い」「残酷」な描写が含まれていました。

「シンデレラ」で義姉が指を切断? 「白雪姫」の王妃が人間の内臓を食べる? 「かちかち山」のタヌキは、おばあさんを殺して汁にする?

――にわかには信じがたい話ですが、これらはすべて、元々の物語に実際に存在したエピソードの一部です。

なぜ、こんなにもエグい話が、かつては子どもたちに語り継がれていたのでしょうか? そして、なぜ現代の物語からは姿を消したのでしょうか?

今回は、そんな「本当は怖い昔話」の背景に迫り、その魅力と理由を深掘りしていきます。


あなたもきっと知っている!「本当は怖い」あの昔話たち

まずは、具体的な例を見ていきましょう。私たちが知る物語とは異なる、驚きの展開が隠されています。

ディズニー作品の原点:グリム童話の衝撃

ディズニー映画で描かれる夢と魔法の世界。その多くは、ドイツのグリム童話やデンマークのアンデルセン童話が原点となっています。しかし、これらの原作は、ディズニーが脚色する前の姿はかなり「大人向け」でした。

作品名(ディズニー版)

原作での怖い要素の例

シンデレラ

義姉たちがガラスの靴に足を合わせるため、かかとやつま先を切り落とす。結婚式でハトが義姉たちの目をくり抜く

白雪姫

王妃が白雪姫の心臓や肝臓を食べるよう命じ、イノシシのものを塩茹でにして食す。白雪姫の結婚式で、王妃は熱した鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされる

ヘンゼルとグレーテル

実の親が子供たちを森に捨てる(貧困のため)。魔女は子供たちを太らせて食べようと企む。グレーテルが魔女をかまどに突き落として焼き殺す

赤ずきん

オオカミが赤ずきんとおばあさんを丸呑みする。狩人がオオカミの腹を切り裂いて助け出し、腹に石を詰めて水に落として殺す

教訓が残酷すぎる? 日本昔話の闇

日本に古くから伝わる昔話も、現代の絵本やアニメではマイルドに表現されていますが、元々の形はかなり過激でした。

作品名

元々の怖い要素の例

かちかち山

タヌキがおばあさんを騙し殺し、その肉を汁にしておじいさんに食べさせる。ウサギはタヌキに熱い火口を背負わせ、蜂の巣で刺し、泥舟に乗せて沈め殺すという徹底的な復讐劇。

さるかに合戦

サルがカニの子供たちを柿の種で殺害する。親ガニの復讐のため、栗や臼、ハチなどが協力してサルを襲い、最終的に殺す

舌切り雀

欲張りなおばあさんが、大きなつづらを選ぶと、中にムカデやヘビなどの化け物が入っており、おばあさんは襲われて死ぬ(または極貧に陥る)。

浦島太郎

竜宮城での滞在後、故郷に戻ると何百年もの時が経過。玉手箱を開けると、一瞬にして老人になり、元の世界には二度と戻れないという、時間と肉体の残酷な変化を描写。


なぜ「本当は怖い話」は生まれたのか? 3つの深層

現代ではまず作られないような「エグい話」が、なぜ昔は子供たちに語り継がれたのか。そこには、当時の社会背景と人々の価値観が深く関係しています。

1. 「教訓」を強烈に刻み込むため

昔話の最大の目的は、道徳や教訓を伝えることでした。現代のように多様な情報源がない時代、物語は子供たちに社会のルールや危険、善悪の判断を教える重要なツールだったのです。

  • 「欲張るとひどい目に遭う」(舌切り雀、赤い靴)

  • 「悪事を働けば必ず報いを受ける」(かちかち山、さるかに合戦)

  • 「親の言うことを聞かないと危険な目に遭う」(赤ずきん、ヘンゼルとグレーテル)

これらの教訓を、ただ言葉で伝えるだけでは不十分でした。強烈な恐怖や残酷な結末は、子供の心に深く刻み込まれ、決して忘れられない教えとなったのです。現代のホラー映画が、見る人に特定の感情を強く印象付けるのと似ています。

2. 生きるための「現実」を伝えるため

昔の社会は、現代よりもはるかに過酷でした。飢餓や病気、自然災害、あるいは人間同士の争いなど、「死」は常に身近な存在でした。

昔話は、そうした厳しく理不尽な現実や、人間の持つ本能的な「欲」や「悪意」を隠さずに描きました。これは、子供たちが厳しい世の中を生き抜くための、一種のサバイバルガイドでもあったのです。

「世の中は甘くない」「油断すると命を落とす」といったメッセージを、物語の形で伝えることで、子供たちに警戒心や現実への適応力を身につけさせようとしたのかもしれません。

3. エンターテインメントとしての「恐怖」

現代にもホラー作品があるように、昔の人々もまた、「恐怖」をエンターテインメントとして楽しんでいた側面があると考えられます。厳しい労働や日々の生活の中で、物語は貴重な娯楽でした。

特に夜、家族や仲間が集まって語り合う昔話は、聞く人の想像力を刺激し、時には背筋が凍るようなスリルを提供したでしょう。恐怖は、人間の感情の中でも特に強いインパクトを与えるものであり、物語を忘れられないものにする要素でもありました。


現代の物語が「怖くない」理由と社会の反応

では、なぜ現代の物語は、これほどまでに「エグい」描写が少なくなったのでしょうか?

大きな要因は、子供の心理発達や情操教育に対する理解の深化です。現代では、過度な暴力や恐怖は、子供の心に悪影響を与える可能性が指摘されています。そのため、子供向けコンテンツは、安心感や希望、友情、努力といったポジティブなテーマが重視されるようになりました。

また、情報過多の現代において、親が子供に見せるコンテンツへの関心も高まりました。もし残酷な内容の物語が作られれば、瞬く間に批判の対象となり、受け入れられません。出版社や制作会社も、社会的な責任と市場のニーズを強く意識しているため、そういった内容は避ける傾向にあります。

X(旧Twitter)などのSNSでは、「グリム童話の原作を読んで衝撃を受けた」「かちかち山の本来の結末を知ってゾッとした」といった声が多く見られます。一方で、「昔話は怖いからこそ教訓になった」「今のぬるい話じゃ伝わらないこともある」といった意見もあり、多様な反応が飛び交っています。

これらの反応は、人々が昔話の持つ多面性や、時代による価値観の変化について深く考えている証拠と言えるでしょう。


まとめ:昔話は時代を映す鏡

「本当は怖い昔話」は、当時の人々の生き方や価値観、そして社会の厳しさを色濃く映し出す鏡のような存在です。それは、ただ怖いだけでなく、人々が生き抜くための知恵や教訓が詰まった、貴重な文化遺産でもあります。

現代の物語が「怖くない」のは、社会がより豊かになり、子供たちが安全に成長できる環境が整った証拠とも言えるでしょう。しかし、時には昔話の「本当の姿」に触れてみることで、私たちは歴史や人間の本質について、新たな視点を得られるのかもしれません。

あなたの知っているあの物語の「本当の姿」も、調べてみたら意外な一面が見つかるかもしれませんよ。

※これら昔読んだ。面白かった。

 

 

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