評判ボロッカスだけど、自分で見てみないことには批評できないですよね!
とりあえず評判”だけ”集めてみました。
とはいえ、「竜とそばかすの姫」観た限り・・・
序章:期待値の上昇と落差
果てしなきスカーレット(2025年11月21日公開/細田守監督・脚本)は、19年ぶりということで、前作の名作時をかける少女(2006年)からの期待も大きかった。
制作はスタジオ地図で、2D・3D・CGを融合したビジュアル表現が謳われていた。
さらに、テーマとして「生きるとは何か」「愛とは何か」「復讐の連鎖」という重厚な命題を掲げており、観客の期待値は高かった。
しかし、公開後の反応を追うと、「映像は美しいが物語として腑に落ちない」という声が目立つ。
レビューサイト等では平均評価が低く、一定の評価を得たものの、満足感の低さが浮き彫りになっている。
例えば、レビューサイトで「冒頭から冴えない/観客置き去り」といった指摘があった。
物語の構造とその問題点
本作のあらすじを簡潔に整理すると、16世紀デンマークにおいて父王を叔父に殺された王女スカーレットが、《死者の国》で目覚め、自らの仇敵を追って旅に出る。
現代日本から迷い込んだ看護師・聖との出会い、復讐と赦しの対峙が軸。
ただし、脚本面で次のような問題が指摘されている。
-
説明的なセリフが多く、観客がキャラクターに感情移入しにくい。
-
声優起用に対して、「なぜプロの声優を使わないのか」という批判が出ている。
-
展開の唐突さ、世界観の構築が細部で甘く、視聴者が「なぜこうなる?」と疑問を抱える場面が多い。
これらの点が「美術・映像は極上だが物語が追いついていない」という評価につながっている。
視覚・演出面の評価:申し分ないが
映像・美術監督・CGディレクターといった制作陣の顔ぶれからも、映像表現には大きな力が注がれている。
実際、レビューでは「背景CGが迫力満点」「広大な世界の描写に息をのんだ」という声もある。
だが、「映像美=満足には直結しない」ことが本作では浮き彫りになった。
視覚のインパクトがあっても、それを受け止める物語構造が弱いと、観客の心理的な満足に結びつきにくいという典型例と言える。
観客・SNSの反応まとめ
以下に、公開直後の反応を整理する(主にネガティブ寄り)。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 酷評多数 | 「ストーリー唐突・説明不足」「歌とダンスの投入が場違い」「観ていて虚無感」といった投稿多数。 |
| 映像・テーマには一定評価 | 「映像美は圧倒的」「報復連鎖を否定するテーマにハッとした」という声も。 |
| 興行的スピード感に警鐘 | 公開初日からX(旧Twitter)で「公開初日で賛否の声が爆発」「座席が少ない劇場報告あり」などのツイートあり。 |
このように、視覚的成功と物語的失速が同時に観測されている。一般観客が求める「感情の揺さぶり」や「物語の納得感」を得にくい構成になっていたことが、評価低迷の一因だと考えられる。
なぜこのようなズレが生じたか(仮説)
いくつかの要素が重なって、ズレが出たと考えられる。以下はあくまで推測である(創作/仮説)。
-
監督自身が脚本も担当したことで映像優先・物語検証のフェーズが甘くなった可能性。
⇒実はヒット作の脚本は全部・・・ -
ジャンル混合の拡張(16世紀王道復讐劇+現代日本キャラ+死者の国ファンタジー+ミュージカル)により、観客が受け止める「軸」が曖昧になった。
-
声優起用の選択により声の演技としてプロの観点から齟齬を感じた観客が存在。
-
テーマが抽象的・哲学的なために、「エンタメを期待して劇場に来た」観客とのミスマッチが起きた。
結び:何を得て何を失ったか
『果てしなきスカーレット』は、映像表現・野心の面では「やる気」が伝わる作品ともとれる。
ただし、観客の「物語のしっかりした構造」「登場人物への感情移入」「一貫したテーマの体験」を満たすには至らなかったのではないか。
結果、「映像は美しいが、感情は揺さぶらない」という感想が多いようだ。
劇場で観る価値を問われるなら、映像体験を重視するなら“見る手段”としてアリ。
ただし「ストーリーに没入したい」「劇場で声を出して泣きたい」といった期待を持つと、期待値とのギャップに直面する可能性が高いように思える。
おススメ商品
こちら、私が長年使ってるおすすめワイヤレスイヤホン、トラックボール、スマホスタンド
|
|
|
|
|
|


コメント