2026年2月9日、東海地方で長く親しまれてきたタレント・ラジオパーソナリティーの宮地佑紀生さんの訃報が、所属事務所から公表されました。発表は同日付で、各社が一斉に報道しています。一次情報としては、所属事務所の告知が最も具体的です。
まずは事実関係(公式発表ベース)
下記は、所属事務所の発表に基づく要点です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 逝去 | 2026年1月10日 |
| 死因 | 骨髄異形成症候群 |
| 享年 | 78歳(事務所発表) |
| 葬儀 | 近親者のみで執り行い済み |
| 公表日 | 2026年2月9日 |
| お別れの会 | 2月26日(木)13:00〜16:00/名古屋・SPADE BOX |
| 参列形式 | 献花台あり/香典・供花・供物は辞退 |
※なお、報道の一部では「77歳」と記載されるケースがあります(後述)。
「77歳」と「78歳」表記の揺れについて(断定しない整理)
ここは読者が混乱しやすい点なので、分けて書きます。
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事務所公式は「享年78歳」と明記しています。
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一方で、全国報道では「77歳」とする記事も確認できます。
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また、生年月日を「1949年1月9日」と記す記事もあり、その前提だと満年齢では77歳になる計算です(2026/1/10時点)。
現時点で、なぜ公式が78歳表記なのか(数え年換算なのか、単純な表記の問題なのか等)は、公式発表文中に理由が書かれていないため、ここでは断定しません。
宮地佑紀生さんは何者だったのか――“声で街を作った人”
事務所発表でも触れられている通り、宮地さんは25歳でラジオ活動を開始し、東海ラジオの番組などを担当。さらに1997年開始の番組で、長く「名古屋の午後」を支えた存在として語られています。
テレビでは、朝の情報番組『どですか!』に出演し、放送期間は2002年4月〜2011年3月と整理されています。
そして、全国的にもフレーズが独り歩きしたのが、スガキヤCMの「もっと食べてみや〜ち♪」。訃報記事でも、この点が“記憶のスイッチ”として繰り返し言及されています。
年表で見る「名古屋の午後の顔」
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1970年代ごろ | 25歳でラジオパーソナリティー活動開始(事務所発表) |
| 1997年 | 『宮地佑紀生の聞いてみや〜ち』開始(各資料) |
| 2002〜2011年 | 朝番組『どですか!』出演(放送期間の記載) |
| 2016年 | ラジオ生放送中の傷害事件で逮捕〜略式命令(過去報道) |
| 2026年1月10日 | 逝去(骨髄異形成症候群) |
| 2026年2月9日 | 事務所が訃報を公表 |
| 2026年2月26日 | お別れの会(SPADE BOX) |
死因「骨髄異形成症候群」とは(必要最小限の理解)
骨髄異形成症候群(MDS)は、血液を作る骨髄の働きに異常が出て、正常な血液細胞が作られにくくなる病気として説明されています。治療は状態(リスク分類)によって変わり、低リスクでは経過観察や支持療法(輸血など)を行うことがあり、高リスクでは造血幹細胞移植が検討される、といった整理が公的情報として示されています。
ざっくり図(イメージ)
骨髄(血を作る工場) → 赤血球/白血球/血小板
この“工場”の設計や製造に乱れが出る → 体調不良や感染リスク、貧血などにつながりうる(※詳細は医療機関の説明が前提)
※医療の個別判断(症状・治療方針)は患者ごとに異なるため、一般説明の範囲に留めます。
当該ニュースへの反応(Xなどで見える空気感)
2月9日は、報道がまとまって出たこともあり、SNS上でも言及が急増しています。具体的な投稿傾向としては、次のような“記憶の引き出し”が多い印象です。
①「スガキヤCMの歌」が真っ先に浮かぶ
訃報記事でもCMのフレーズが繰り返し取り上げられており、SNS側もそこに反応が集中しています。
②「名古屋の午後/ラジオの人」という受け止め
“午後の顔”としてのイメージが強く、番組名や語り口(名古屋弁)に紐づいた追悼が多い形です。
③「1月10日に亡くなっていた」ことへの驚き
逝去日と公表日の間が空いているため、「今知った」という驚きが混じります(ただし、事務所発表は事実関係と案内が中心で、理由説明はありません)。
④過去の事件に触れる投稿も一部で再浮上
2016年の出来事は当時の報道として事実が確認できますが、今回の訃報の中心はあくまで逝去とお別れの会の案内です。
お別れの会(2/26)で注意しておきたい点
この手の告知は「行ける/行けない」以前に、ルールの見落としが起きがちです。事務所は明確に、
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献花台は設置
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香典・供花・供物は辞退
と案内しています。
まとめ:残るのは「声」と「合図」
今回の訃報で改めて浮かび上がったのは、宮地佑紀生さんが「作品」や「役」以上に、日常の時間帯そのものに入り込んでいた人だった、という点です。午後のラジオ、朝のテレビ、そして“あのCMの一節”。地元メディアのスターという言葉では収まりきらない、「生活の合図」みたいな存在として記憶されていることが、報道と反応の両方から読み取れます。
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