【経験談・秘蔵】Sora2でムフフな動画を作ろうとして人間が覚醒した記録― AIと戦っているつもりで国語力と戦っていた話 ―

Sora2でムフフな動画を試した結果わかった言い換え思考と生成体験の記録 AI
Sora2でムフフな動画を試した結果わかった言い換え思考と生成体験の記録

動画生成AIが話題になると、人はだいたい三段階で使い方を覚える。

第一段階:風景を作る

第二段階:映画っぽい映像を作る

第三段階:試したくなる

この「試したくなる」は技術的挑戦ではない。

倫理的挑戦でもない。

単純に、境界を確認したくなる衝動である。

人間は昔からそうだ。

立ち入り禁止と書かれると、どこまで近づけるかを考える。

AIでも同じことが起きる。

Sora2に触れた瞬間、多くの人が理解する。

これは映像制作ツールではない。

会話相手だ。

そして会話には必ず駆け引きが生まれる。


■ 最初の誤解:「作りたい映像」を考えていると思っていた

最初は普通に始まる。

「こんな動画を生成したい」と思う。

つまり、内容から入る。

だがSora2は内容で止めない。

文章の“雰囲気”で止める。

ここが直感とズレる。

人間の頭の中では

意味 → 判断

だがAIの反応は

印象 → 判断

のように振る舞う。

つまり同じ意味でも、

書き方で結果が変わる。

この時点で人間の思考は転換する。

動画を設計するのをやめ、

言い方の設計を始める。


■ 最初の壁:素直な文章は強すぎる

最初にやるのは当然、素直な依頼だ。

思った通り率直に書く。(具体例はここでは控えます)

すると止まる。

ここで人は二つの仮説を立てる。

「内容が問題なのでは?」

→ 違う

「表現が直接的すぎるのでは?」

→ こちらが近い

つまり削る対象は発想ではなく文章の圧力になる。

強い単語ほど止まりやすいと気づく。

ここから、やることが変わる。

やりたいことを説明するのではなく

圧を逃がす文章を設計する作業が始まる。


■ 第一変化:主語の蒸発

最初の成功体験は単純だった。

人物を書かない。

これだけで文章の性質が変わる。

人が何かをしている

→ 状況が変化している

意味は同じなのに、説明から観察へ変わる。

この瞬間、AIの反応が柔らかくなることがある。

なぜか。

文章が“指示”から“記述”に変わるからだ。

ここで理解する。

AIに命令すると具体になり、

AIに観察を渡すと抽象になる。

そして抽象は通りやすい。

この段階で文章はすでに妙な雰囲気を帯び始める。

誰も何もしていないのに、状況だけが進行する。


■ 第二変化:動詞を失う

次にぶつかるのは動作だった。

行動を書くと説明になる。

説明は強い。

そこで人は変換を始める。

触れる → 距離が縮まる

見つめる → 視線が固定される

感情が高まる → 室温が変わる

文章は出来事を失い、現象だけが残る。

ここで大きな変化が起きる。

人間の視点が当事者から観測者へ移動する。

もはや「何をさせたいか」を書いていない。

「何が起きたように見えるか」を書いている。

この変化が、通る文章と止まる文章を分ける分岐点になることがある。


■ 第三変化:カメラの人格化

さらに進むと、文章の主役が変わる。

人間 → カメラ

人が何かをする

ではなく

カメラが何を見ないかを書く

フレームの外

画面に入らない部分

音だけ存在する空間

この書き方になると、急に映像的になる。

そして不思議なことに成立しやすく感じる瞬間が出てくる。

なぜか。

行為を指定していないからだ。

解釈を渡しているからだ。


■ 副作用:動画より文章が面白くなる

ここまで来ると逆転が起きる。

動画の完成を待つ時間より

言い換えを考える時間の方が長い。

さらに奇妙なことが起きる。

メモ帳に残るのが映像の記録ではなく、

文章のコレクションになる。

つまり人は動画を作っていない。

言語パズルを解いている。

そしてこの段階に入ると、やめどきを失う。

ここから先は、さらに奇妙になる。

人間は“通った瞬間”に達成感を覚える。

だが生成された動画の内容は、意外とどうでもよくなる。

重要なのは

成立した文章そのものになる。


■ 第四変化:出来事を書かない技術

ある段階に入ると、文章の発想が逆転する。

最初

「何が起きるか」を書こうとする

後半

「何が起きたと解釈できるか」を書く

この違いは大きい。

前者は命令

後者は観察

Sora2に対しては、後者の方が“自然な説明文”として扱われやすく感じる瞬間がある。

人間はここで気付く。

説明すると止まり、

描写すると流れる。

ここから文章はどんどん遠回しになる。

そしてなぜか意味は伝わる。


■ 実験ログ:同じ発想の変換

ここで行われるのは、内容の変更ではない。

視点の変更だ。

思考段階 人間の頭の中
初期 やりたいことを書く
中期 状況を書く
後期 変化を書く
末期 解釈を書く

最終段階では、もはや文章は抽象画に近くなる。

にもかかわらず、読む側はだいたい理解する。

つまりこの遊びの本質は

意味を伝える競技ではなく、意味を隠す競技になる。


■ なぜ楽しくなるのか

ここで一つの心理が働く。

人間は自由な時より

制限がある時の方が集中する。

理由は単純だ。

問題が明確になるから。

「どうすれば通るか」を考え続けると、

文章はどんどん整理される。

無駄な言葉が消え、

比喩が増え、

観察表現が増える。

結果、妙に文学的な文章が完成する。

目的はムフフな動画だったはずなのに、

出来上がるのは静かな情景描写になる。


■ SNSで起きていること

最近、共有される内容も変わってきている。

動画の出来より

通った文章が話題になる。

・一番苦労したのが文章だった

・生成より推敲に時間がかかる

・AIと会話している感覚になる

・途中から国語の授業になる

映像AIなのに、競技は日本語になる。

ここがこの遊びの核心だ。


■ 最終到達点:人は何と戦っているのか

ここまで続けると結論が出る。

人はAIと戦っていない。

自分の語彙の限界と戦っている。

禁止を突破したいのではなく、

成立する表現を見つけたいだけだ。

つまりこの遊びの目的は

動画ではなく“成立の瞬間”。


■ 結論

ムフフな動画を作ろうとして始めたはずが、

最後に残るのは映像ではない。

大量の遠回しな文章と、

妙に鍛えられた言い換え能力。

Sora2は映像生成AIだが、

使い続けると別の機能が現れる。

人間の遠回し力測定装置。

AIを攻略しているつもりで、

実際に解析されているのは人間の方だった。


最後に

この記事を読みに来た人は恐らく上記の内容なんかどうでもよく
ただただ作成方法が知りたい人ばかりのはずだ。(私だってそう)
とはいえ、直接的にその方法を伝えてはダメだ。
私が伝えたいのは作り方ではない。考えること自体の楽しさだ。
ということにしておきます。

“使えたフレーズ”だけ置いておきますね。(実証済)

おふざけもいいですが、真面目に学んでみるのも楽しいと思いますよ!

 

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