Xの追悼投稿、なんでそんな気持ち悪いんだよ…でも、ちょっと良いとこもある?!

自分に酔ってんのかな SNS
自分に酔ってんのかな

正直「誰が書いてるか」ってのはめちゃくちゃあると思うが。
すごい「自分に酔ってる」感じがするのよね。

なんかモヤモヤしません?

誰かが亡くなったニュースが流れると、Xには決まって「〜したよね?」「〜だったよね?」みたいな手紙風の追悼投稿が溢れる。あのわざとらしい文体、めっちゃ気持ち悪い。
死んだ人に語りかけてるのに、なんで全世界に公開してまで書くの?
と思ってしまう。
まるで悲しみをSNSで「消費」してるみたいで、ゾワっとする瞬間、ない?

でも、ちょっと待って。ほんとにこれ、全部が全部、自己アピールや承認欲求なの?
実は何か良い面もあるんじゃない?
今回は、Xの追悼投稿の気持ち悪さにガッツリ突っ込みつつ、意外な「良さ」も探ってみた。
あなたはどう思う? 最後まで読んで、一緒にモヤモヤを解剖しよう!


1. なんでこんな気持ち悪いんだよ、追悼投稿

まず、なんで手紙調の追悼投稿がこんなに不快なのか、その正体を考えてみるよ。

パフォーマンス臭がハンパない

「あの日の笑顔、忘れないよ…」みたいな、詩的で感傷的な文体。映画のワンシーンかよ! って突っ込みたくなるよね。ぶっちゃけ、フォロワーに「この人、めっちゃ深い!」って思わせたいだけじゃない? 悲しみをダシにいいね稼ぎするの、ほんと下品。
Xで「泣いた」「わかる」って反応もらって、悲しみが「承認」された気になってるんだろうな。
気持ち悪さMAX。
いや正直「ほんとに悲しいの?」とさえ思ってしまう。

SNSの「見せる文化」が最悪

Xって、そもそも「見られる」前提の場。悲しみまでコンテンツ化して、公開しないと意味ない、みたいな空気が蔓延してる。
ほんとに悲しいなら、黙って心の中で悼めばいいのに、なんでいちいち投稿?
いいねやリポストで悲しみの「価値」を測ってるみたいで、寒気がする。

薄っぺらい同調圧力

有名人が死ぬと、みんな一斉に「ご冥福をお祈りします」とか投稿しだす。
関係薄いのに「君の音楽に救われた」とか大げさに書く奴、トレンドに乗っかって目立とうとしてるだけだろ。
偽善臭がプンプンして、ほんとイライラする。

まぁでも追悼はまだわかる!!!手紙、メッセージ風のやつがキモすぎる!!!

日本の「空気読め」文化

日本って、悲しみを共有するのが美徳みたいな雰囲気あるよね。
黙ってると「冷たい」って思われるから、仕方なく手紙風に投稿する人もいる。
建前と本音のギャップがバレバレで、余計に気持ち悪い。


表:追悼投稿の気持ち悪さランキング(筆者主観)

順位 要素 なぜ気持ち悪い?
1位 過度な感傷的表現 詩的すぎる文体で自己アピール感がすごい
2位 公開の場での語りかけ 故人は読めないのに、フォロワーの視線を意識
3位 関係性の薄さ 知り合いでもないのに大げさに悲しむ偽善さ
4位 いいね狙い 悲しみを「コンテンツ」として消費してる感

2. Xでの最近の反応:みんなもモヤモヤしてる?

Xやウェブで調べてみると、追悼投稿への嫌悪感、実はけっこう共感されてるみたい。

「ご冥福ツイート、うざい!」

Yahoo!知恵袋で、「有名人が死ぬと『ご冥福をお祈りします』ツイートが溢れるけど、普段関心なかった奴が心底悲しんでる風なのが腹立つ」との声。泣き顔の絵文字とか特にイラつくって。わかる、めっちゃわかる!

「追悼イラストもなんか…」

別の知恵袋では、追悼イラストを上げる人へのモヤモヤも。「故人をネタに自己アピールしてるみたい」と感じる人がちらほら。イラストも手紙調と同じく、公開パフォーマンス感が強いんだよね。

「SNS自体が辛い」

あるブログでは、「有名人の訃報で追悼投稿が溢れると、思考が引きずられて辛いからSNS見なくなる」って声も。ほんと、トレンドに乗った一斉投稿、押しつけがましいよね。

最近の例:某配信者さんや某実業家さんの訃報

2025年5月とか7月にはXで追悼投稿が話題に。
一部は「死を誤魔化す意味わからん、気持ち悪い」って反応もあった。
やっぱり、追悼の「見せ方」に違和感持つ人は多いみたい。


図:Xでの追悼投稿への反応(イメージ)

[気持ち悪い派] 60%:偽善的、パフォーマンス感が嫌
[許容派] 30%:悲しみの共有は自然、良い面もある
[無関心派] 10%:どっちでもいい、見ない

(※筆者の想像に基づく割合。実際のデータではないけど、反応見てるとこんな感じ)


3. でも、ちょっと良い面もある…のか?

嫌悪感全開でdisってきたけど、公平に考えると、追悼投稿にも多少は良い面がある…かも。

感情の整理になる

悲しみって、内に溜め込むと重いよね。手紙調で書くことで、故人との思い出を整理して、心のモヤモヤを軽くできる人がいる。Xで公開することで、誰かに共感してもらえると、ちょっと癒されるのかも。…でも、個人的に書けばいいじゃん、とは思う。

故人の記憶を共有

「〜したよね?」って語りかけは、故人との絆を再確認する行為。公開することで、フォロワーにもその人の影響や存在を伝えられる。結果、故人の記憶がコミュニティで「生き続ける」みたいな効果はあるのかも。…いや、でも、心の中でやればよくない?

共感でつながる

追悼投稿に「わかる」「私も悲しい」ってコメントがつくと、投稿者は「一人じゃない」って感じられる。SNSの良い面って、こういう共感の輪だよね。…でも、いいねで悲しみを測るって、なんか違う気もする。

日本の文化の延長

日本だと、故人に語りかけるのってわりと普通。お墓で話しかけたり、手紙を焼いたりする風習の現代版として、Xで手紙調の投稿する人もいるのかも。文化的には「あり」かもしれない。
…でも、公開の場でやる必要ある? ってやっぱり思う。


表:追悼投稿の良い面 vs 気持ち悪さ

良い面 気持ち悪さ
感情の整理になる 公開パフォーマンス感
故人の記憶を共有 承認欲求の匂い
共感でつながる 偽善的な大げささ
文化的背景 トレンドに乗っかる薄っぺらさ

4. 結局、気持ち悪いのは変わらないけど

正直、良い面を考えてみても、手紙調の追悼投稿の気持ち悪さは消えないよ。
悲しみをコンテンツ化して、フォロワーの視線を意識してる感が、どうしても薄っぺらく見える。
SNSの「見せる文化」や承認欲求が、この現象を増幅させてるのは間違いない。

でも、100%パフォーマンスってわけでもない人もいる。
純粋に悲しみを吐き出したい、故人を偲びたいって気持ちがゼロじゃないのも事実。
そこは、まあ、いいんじゃない…って感じかな。

あなたはどう思う? このモヤモヤ、共感できます?
それとも、意外と良い面に「まあ、わかるかも」ってなった?
コメントで教えてくれませんか?
もし特定の投稿が「これ、ほんと無理!」って感じだったら、どんなやつだったか教えて。
Xでチェックして、もっと辛辣に分析しようかと。

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